唯一正しいことは、「正しいことが1つもないこと」
こんにちは。らいしんです。
タイトルのような内容を信じることは悲観的だろうか。
矛盾した言い回しだが、そんなことどうでもよくなるくらいの虚無感に満ちている。
突然だけど、僕の最も好きな映画の1つである『インサイドヘッド』(英題:『Inside Out』)からあるセリフを引用したい。
Joy 「Oh, no! These Facts and Opinions look so similar.」
Bing Bong 「Don't worry about it. Happens all the time.」
ヨロコビ 「やっちゃった!"事実と意見"って見分けがつかない」
ビンボン 「あぁ、気にしなくていいよ。みんなそうだから。」
世の中は、「事実」の仮面をつけた「意見」で溢れている。
Webで記事を探せば「○○に必要な6つのこと」といったようなタイトルで、
人生に大切な要素である”事実”がいくらでも手に入る。
さまざまな媒体がそんな有象無象な書きものを発信しているけど、
それらの功績を言えば、”事実”を乱造しすぎたせいで「こんなもんいちいち気にしてられっか」と大衆に思わせることで、彼らにそれっぽく書かれたことを鵜呑みにしない素養を育んだことだろう。
「事実」と「意見」の境界はあいまいなもので、カフェオレのように黒と白にはっきりわかれているわけじゃない。
だからほとんどの人は、ほぼミルクの味しかしないカフェオレを提供して
なんとかコーヒーと思ってもらえるよう努力している。
このような「世の中に正しいことなんてないじゃないか」というふてくされた考え方のことを、哲学の世界では『懐疑主義』と呼ぶ。
そういう人たちの気持ちはよくわかるけど、それでも僕はなんとかしてできるだけ多くの”正しいこと”をみつけたい。いや、もしかしたらみつけるんじゃなくて”信じ込む”しかないのかもしれないけどね。
僕にとって本を読むことは娯楽であり、上に書いたような「事実や正しいことへの探求」でもある。だから書評ブログをはじめようと思った。
その中で自分が「これは正しいことだ」と思えるものを認定していって、1つ1つ自分の中にためていければ嬉しい。他の人にもなにか判断のきっかけになってくれればもっと嬉しい。
そして今回、まずはこの一文を事実として認定する。
『正しいことは存在する』